歩んだ先にあるプレゼント

僕はクリスチャンで、

赤ちゃんの時に洗礼を受けているので、

何か悪いことしても神様が見ていると思っていました。

小さい時は、悪いことすると誰も見ていなくても

神様は見ていると思っていましたが、

成長するに従い、悪い行いに少しづつ慣れてしまい、

悪に対する感覚が鈍くなっていったと思います。

そのうちまた少しづつ

目に見えない大きな存在を感じるようになり、

誰も見ていなくても神様には知られている

と感じるようになりました。

『ルカによる福音書』に、自分の十字架を背負って

イエス様に従うようにと書かれています。

ここでいう十字架の意味を、僕は宿命とか業(ごう)

のようなものとして捉えています。

僕のブログのタイトルは、『八ヶ岳からの十字架』です。

聖書の教えから「勇気」・「希望」を人々に

伝えたいという想いで聖書のシンボル的な十字架と、

八ヶ岳で生活する僕の十字架(培ってきた固有の視点みたいなもの)

を通して、2つの十字架を掛け合わせたようなイメージで

ブログタイトルとしています。

宗教の問題はデリケートだと思いますが、

信じるも信じないも自由であり、

人の数だけ考えがあるだけのことです。

ただ宗教はどんな宗教でも、何となく

命とか死とかに身近に向き合っている気がします。

命や死が身近に感じられるから

限りある命を、大切に、思う通りに、

後悔の無い様に、勇気を出して…と

考えてしまうのですね。

この世は同じ大地に生きていながら、

心の感じ方・幸せの度合い・実際の生活には開きがあります。

人それぞれ、自分の十字架を背負いながらも

信じる方向に向けてひたむきに頑張っています。

ある人は自分の方向に早い段階で到達して、

ある人は途上にいます。

すでに到達した人を見てあの人のようになりたいなぁ

と思いますが、同じ人間ができていることなので、

途上の人も、諦めない限り、自分に見合った

納得いく結果が得られます。

必ずしも自分が望む結果が得られるとは言えないかもしれませんが、

心の声に従って歩んだ先は、自分には予想もしない、

神様が準備してくれていたプレゼントはあると思います。

かえってそのプレゼントが望みのものより素敵なこともあります。

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