違いで成り立つ世の中

自分の分という字は、自らを他と分ける、

自分をわきまえるという意味合いで

分際という場合の分と同様な使われ方だそうです。

最近は実力とか身分とか関係なく、

だれでも自由にネットを通して発言したり、

考えを説ける風潮だけど、

それは如何なものかと考えている人もいます。

誰でも好き勝手に一端なことを言うようになってきたが、

昔は相応な人が言いていたものだと。

でも、個人が堂々と自由に考えや意見を述べて、

自分の能力や好きなことを自由に伸ばせれば、

世の中もっと自由で楽しくなるような気がします。

あなたはこうですね!私はこうですけど、

それもありで良いですねって。

僕は、人はどちらかというと自分なんて大したことありませんからと

自己評価を下げる傾向があるように感じます。

大した人なのに、大したことありませんって遠慮する方に回りやすいと感じます。

我慢とか辛坊とか言い聞かせて、自分を殺して立ち回り、

社会も、できるだけ波風立たない組織として統制しやすい人を

作ろうとしているように思います。

はみ出ることは危険だし、

はみ出れば取り返しつかないよって脅すのです。

でも、自由に個性を活かせて、違いを認めることができて

もっと寛容な社会なら、もっとよくなるように感じます。

それぞれが他とは分けられた才能を発揮できれば、

もっと緩くて楽な世の中になるような気がします。

競争で切磋琢磨するというのではなく、

それぞれをカバーしあう寛容の世の中という感じ。

できないところをできる人がカバーします。

それぞれできる部分を出し合うのです。

だから神様は恐れずに、望むことを

信じて追い求めろと言っているのではないでしょうか?

そのほうが世の中きっとよくなるから。

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