神様からのメッセージ

『聖書』の中で、イエス様は譬え話でいろいろなことを語ります。

『マルコの福音書』には、信じて疑わず、

山に海へ移れと命じればそのようになると書かれています。

『ルカの福音書』では、神を畏れず人を人とも思わない不正な裁判官に

やもめがしつこく訴える話が出て来ます。

不正な裁判官は、あの女はしつこく付きまとい、うるさくてかなわないから、

女の言う通りにしてやろうと言います。

『マタイの福音書』では、求めれば与えられる、

探せば見出せる、叩けば門は開かれる、と書かれています。

『ルカの福音書』に、夜中に隣人の家へ行き、欲しいものを求めれば、

しつこさに辟易した隣人は、欲しいものを与えてくれると書かれています。

イエス様は口癖のように目覚めていなさいと言っています。

明日何を着ようか何を食べようか、

日々の煩いに心を乱すなとも言っておられます。

『マタイの福音書』にはタラントンのはなしというのがあります。

自分の主人からお金(円とかドルとかと同じようにタラントンというお金の単位です)

を預けられた3人の召使が、それぞれの考え方でそのお金を扱います。

お金は例えで、タラントン=タレント(能力)のことを指していて、

召使たち=人間が、主人=神様から預けられためいめいの能力(タラントン)を

恐れに立ち向かいながらも使い切っていこうとするかどうかの話です。

勇気をもって能力を出す召使に神様は、よくやったと褒めます。

失うことを恐れて何もしなかった召使に対して、

神様は怒ります。

これらのお話は、僕にはバラバラな話ではなく一つのように思えるのです。

命を与えられている人は皆、抱く思いを一生懸命に求めて、勇気を出して

自分を信じて能力を出し切れと。

こうなったらどうしようああなったらどうしようと、

起こりもしていない煩いに悩むことなく追い求めよと。

『聖書』は神様の言葉が書かれた書物です。

霊感に導かれた人の手を借りて書かれたり、

神様との対話を経験した人によって書かれたり、

イエス様の弟子が直接書いたり、

身分や立場は様々ですが、

何千年も昔から人に対して神様が伝えようとしてきた

神様からのメッセージです。

だから、真理であって、疑いようのない教えです。

何も起こらない=幸せではありません。変化し続ける限りエネルギーは要るのです。

人間的な恐れを捨てて、信じてひたすら求めるものを追いかければ

自分の求める人生を満ち足りた気持ちで送れるのではないでしょうか。

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