人生は虚しいのか

人間はこの世に生を受けて一体何の意味が有るのでしょうか。

何をするにも、何を得ても、結局は全て虚しいことです。

幾ら知識を吸収しても、財産を築き上げても、

これらを死んだ後の世界に持って行けるわけでもなく、

知識や財産を築けなくても、誰もが等しく生き、

寿命が来ればただ死ぬまでのことで、

どちらにしても別段どうという違いもなく

努力も何もかも全て虚しいことです。

世の中の事象を全て知り尽そうと散々努力をしたものの、

結局分かった答えはただこの世のことは虚しいということだけ。

ここまでの文言は僕が考えていることを記述しているのではなく、

『聖書』の「コヘレトの言葉」という章に書いてある内容です。

虚しい、虚しい、全ては虚しい、とするニヒリズムが漂う内容で、

神と人との関わりが常に流れている『聖書』の中で、

人から見た人間の限界や無力が諦めとも取れる言葉で終始語られています。

「コヘレトの言葉」は、知恵と栄華を極めたソロモン王が著者と言われますが、

この虚しい人間の生涯について、それでも最後に明確な事が有ると結んでいます。

それは、人間は自分の仕事の報酬で飲み食いを楽しめばそれで良いのだということでした。

単純すぎて驚きます。

また、無力で虚しい存在の人間がなすべきことは、

神を畏れ、その戒めを守ることだという結論に達したとしてこの章を結んでいます。

深いのか単純なのか良く分かりません。

あっ、今日はそれだけです。別に落ちも結論もありません。

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