罪からの解放

神様が最初に創造した人間はアダムです。

アダムは最初は1人ぼっちでしたが、

寂しそうにしているアダムを見て、

神様は不憫に思い、助けとなる女のエバを創造します。

東のエデンに園を設けてそこに住まわせ、

全てにおいて恵みを与え、園の中央には、

命の木と善悪の知識の木を生え出でさせました。

神様はアダムとエバに、園に有るどの木の実も食べてよいが、

善悪の知識の木からは決して食べない様に命じます。

リンゴを食べてしまう話で有名ですね。

リンゴかどうかは分かりませんが、

『聖書』には「命の木」と「善悪の知識の木」と2種類の木が出て来ます。

1つではありません。

そして、ヘビがエバをそそのかして食べさせる木の実は

「命の木」ではなく「善悪の知識の木」の方です。

この実を食べて2人は自分たちが裸であったことに気付きます。

「善悪の知識の木」から実をとって食べたことで、良い悪いの判断が出来る様になったため、

悪い=罪というものが認識できるようになってしまいます。

自分達が罪を犯したことが認識できるようになったのです。

それまでは認識できなかったので、罪自体が存在しませんでした。

神様が造った最初の人間が、

早くも罪を犯し、その罪を認識します。

悪い事をした後ろめたさで神様から隠れようとします。

アダムとエバにはカインとアベルという子供が生まれますが、

兄のカインは弟のアベルを嫉妬で殺してしまいます。

最初の人間から生まれた2代目の人間で、もう殺人を犯すんです。

人間はそれほど罪深い弱さを持って

生まれてきているということが示唆されてますね。

でも、神様が人間を作られた時、神の似姿に造り、

(神の)命の息を吹きかけました。

だから、人間は本来は性善なのです。

ただし、神様と違い弱いために、すぐに悪に心が傾くのです。

『聖書』では初めの罪がアダムからもたらされて、

イエス・キリストがその罪を贖(あがな)ったとされてます。

神様は常に人間と共に人間の内に在り、

人間に寄り添って存在します。

神のように善悪を知るという神性を持っている故に、

罪を犯した者は、自らその罪を意識することによって

自ら苦しむという罰が与えられます。

ドストエフスキーの「罪と罰」ですね。

善悪を知るようになった人間は、

人間の罪を背負って死んだイエス・キリストの復活を信じることで、

イエス様が罪に打ち勝ち、罪を完全に贖(あがな)ったことを確認します。

罪深い自分たち自身を苦しめる罪が、

贖いによって許されると確認できることで

救われる=罪から解放されるのです。

開放されたい罪を、初めから犯さないのが良いのでしょうが、

人間だから罪を犯して背負ってしまうのです。

ところで、「善悪の知識の木」ではなく、

「命の木」の実を食べていたら、

人間は罪の存在に気付くこともなく、永遠の命を

はじめから与えられることになったはずです。

スポンサーリンク
人気ブログランキング

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です