人のためになること、喜ばれること

『聖書』に不正な管理人のたとえ話というのが出てきます。

どうやら陰で不正をしている召使の管理人に、

主人が言います。「お前の噂を聞くがよくない。

本当のところはどうなんだ。きちんと説明しなさい」と。

不正な管理人は、考えます。さて困ったことになったぞ。

今更違う仕事には就けないし、かといって力仕事も出来ない。

考えあぐねた管理人は、ご主人に債務を負っている人たちをことごとく呼んで、

お前の債務の証文がここにあるが、証文の額を減額して書き換えてやると、

次々と債務者の証文を減額して書き換えてしまいます。

不正な管理人は、やれやれ、これで自分に対して恩を感じている人が大勢増えたから、

仮に解雇されても誰かが救いの手をさし伸べてくれるだろうと一息つきます。

それを見ていた主人が、この不正な管理人のやり方に感心し、褒めるという話です。

この不正な管理人のように、不正な金で速やかに仲間を増やせと称賛するんですが、

僕は何べん聖書を読んでもこの箇所の意味が良く分からないのです。

何となく勝手に思うのは、人の間で生きる存在として、

この世は不正にまみれているかも知れないけど、

それでも、そこに共に生きる人間同士、

相手のためになること、喜ばれること(この場合負債減額)

をしなさいと言っているように思えます。

また、ことが起きた時はすぐさま、もたもたせずに行動することが大切だ、

そういうことを言っているようにも感じます。

野生の世界でも草食動物なんか、もたもたしてると食われちゃうもんなー。

やっぱり、もたもたするなというのも、自然の摂理、宇宙の法則なのでしょうか。

行動を促す教えにも合っているように思えるし・・・。

スポンサーリンク
人気ブログランキング

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です