人は今という瞬間を紡いでます

『聖書』の創世記にヨセフという人物が登場します。

大分長い話なので、要旨だけかいつまんで書きます。

僕自身は『聖書』の中でも1番好きなくだりです。

アブラハムの子イサクの話は以前記事に書きましたが、

( 関連記事はこちら⇒『』 )

イサクにはエサウとヤコブという双子の子が生まれます。

ヤコブは、レアとラケルという2人の妻を持ちますが、

その2人のうち、どちらかといえば、ラケルを愛していました。

レアとラケルは、夫の愛情を勝ち得ようと、

ヤコブの息子を身ごもることで互いに張り合います。

しかしラケル自身にはなかなか子どもが授からなかったため、

代わりに自分の側女をヤコブに与えて、息子をもうけていました。

・・・しかし、ようやくラケル自身が11番目の息子としてヨセフを生みます。

ヤコブは、愛するラケルにようやく男の子が授かり、

しかも、年をとってからの子供ということもあって、

ヨセフを上のどの兄達よりも可愛がります。

兄達にとってはその事が大変不愉快であり、

ヨセフを何とかしたいと考えていました。

ある日、兄弟たちは示し合わせて、ヨセフを穴に投げ込みますが、

穴に投げ込まれたヨセフは、通りがかりの商人にそのまま連れて行かれます。

兄弟たちが穴をのぞき込むと、そこにヨセフの姿はありません。

そこで兄弟たちは、父であるヤコブに何と説明しようかと相談し、

羊の血を付け故意に切り裂いたヨセフの衣を父に見せて、

獅子か何かに襲われたのではないかと報告します。

一方、商人の手から奴隷として売られたヨセフは、

エジプトの大臣ポティファルに使われることとなりますが、

神を畏れ敬い、正直に働いたため、常に神の恵みを受けて、

ポティファルに信用され、家の管理全権を任されることとなります。

そんなヨセフに好意を抱いたポティファルの妻は、色欲を覚え、

ヨセフに事あるごとしつこく「私と寝なさい。」と言い寄ります。

ヨセフは神を畏れる常に正しい人であったので、全く相手にしません。

逆ギレしたポティファルの妻は、意のままにならないヨセフを

かえって憎たらしく思い、「あの人が私に戯れようとした。」

と偽証してヨセフを訴え、ヨセフは無実のまま、牢獄に入れられてしまいます。

ヨセフはその後、牢獄でも監守の信頼を受けて、

牢獄内のいろいろな世話を取り計らうようになりますが、

或る日、王の怒りに触れて投獄されていた召使の見た

不思議な夢のなぞ解きをしました。

数年後、エジプト王ファラオは不思議な夢を見て胸騒ぎを覚えますが、

国中の知者や学者、占い師たちの中にも夢のなぞ解きを出来る者がいません。

その夢は7年間大豊作が続いた後、次の7年間は大飢饉が起こるという

これから起ころうとしている正夢でした。

かつて王の怒りに触れて投獄されていた召使が、

牢獄で夢のなぞ解きをしたヨセフのことを思いだし、

エジプトの王ファラオに告げます。

王に召し出されたヨセフは、

王が見た夢はこれから起ころうとする正夢であると解き明かします。

王はこれほどのなぞ解きをする知者はあなた以外にいないと、

王の次にくる位に就けて、国の治世をさせ、

ヨセフは大飢饉に備えて7年間備蓄して備えるのです。

夢の通りに大飢饉が始まると、

エジプトの周辺の国々からもエジプトに食料を求めて人々がやって来ますが、

その中にヨセフの兄弟たちもいたのでした。

こうしてヨセフは父や兄達と感動の再会を果たします。

人間の感情がありありと描写されているこの物語は、

何千年も昔の人たちと、現代の人たちが少しも違わない

と感じさせる箇所でもあります。

ヤコブの妻レアとラケルの嫉妬心や競争心、ヤコブのヨセフに対する溺愛、

兄達のねたみ、ポティファルの妻の欲情、再開した後に兄弟たちが抱く感情、

そんな現代人と何も変わることのない人間の感情が生々しく語られています。

『聖書』のこの箇所を読むと、人生が遠大な旅であるような印象を強く感じます。

人は瞬間瞬間にしか生きられなくて、常に今だけがリアルな現実です。

それぞれの人たちが瞬間瞬間の今を懸命に生きていることで長い歴史を紡いでいきます。

『聖書』のこの箇所は何度読んでもそんなことを感じさせるお話です。

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