『聖書』でいう怠け者とは

『聖書』にタラントンのお話って言うのがあります。

タラントンは、古代ギリシャや古代ローマで使われた質量の単位で、

お金そのものの名称にも使われていました。

ある主人が3人の召使たちに、それぞれお金を預けて旅に出ました。

旅から帰って来た主人が3人の召使を呼び寄せ、

預けたタラントンをどうしたか尋ねます。

1人には5タラントン、もう1人には2タラントン、

3人目には1タラントンを預けられていました。

5タラントンを預かった召使が言います。

ご主人様、私は預かったお金を元手に

なお5タラントン儲けました。

ここに10タラントンお返しします。

別の一人が言いました。

ご主人様、私は預かったお金を元手に

なお2タラントン儲けました。

ここに4タラントンお返しします。

主人はそれぞれによくやったと労いの言葉をかけます。

最後に別の召使が言います。

ご主人様、私はあなたが恐い方だとわかっていたので

預かったお金を地に隠しておりました。

どうぞこれがあなたから預かったお金です。

すると主人は言いいます。お前は私が怖いと分かっていたのか。

銀行にでも預ければ利子ぐらいは付いただろ言うに。

お前は怠け者だ。この者から1タラントンを取り上げよ!!

~ 多く持っている者はなお与えられ、

持たない者は持っている物まで取り上げられる ~

タラントン=タレントって現代でも、

タレント=能力という意味で使われていますね。

聖書では与えられている能力を使って

恐れずやってみなさいと言っています。

人は成長過程で、常識とされる考え方を刷り込まれ、

周りと異なる生き方をすると危険である、

はみ出て生きるのは命取りである、

理想と現実をわきまえないと取り返しがつかなくなる、

恐怖を織り交ぜチラつかせながら、

如何にも真実っぽい大義名分で、統制されていきます。

周りと異なるのは異端なんだと。

刷り込まれた考えで生きると、

こんなことしたら嫌われる、はみ出し者になる、

変に思われる、失敗したらどうしよう、

そんな恐怖で萎縮してしまい、

『聖書』の怠け者の召使のようになってしまいます。

3人の召使が、仮に元手を増やすことに失敗すれば、

失う額も預けられた額に見合って、

多く預けられたものが多く失うはずです。

でも、2人は恐れを乗り越えて、1人は恐れました。

『恐れない=信頼している』

『恐れる=信頼できていない』

この意識の違いで、結末が変わるというこのお話は、

意味深いお話ですよね。

思うとおりに出来る人、出来ない人の違いは、

“世の中を信頼している、自分のことも信頼している”

という部分が大きいのではないかと思います。

何かを望むときや、何かを変える時、

勇気が必要なことってあります。

その時、周りや自分を信頼できるかという

内側の心の状態が後々の自分への結果に跳ね返るっていうことです。

自分は何を望んでいるのか、

決めるのは常識に照らし合わせた基準ではなく、

心の声に聞き従うのが正しい選択です。

恐れるなというのは無理で、

誰でも怖いものは怖いんです。

怖くても、自分を信じる気持ちや、

周りを信頼する気持ちもたくさん持っているはずです。

そして何よりも、それをするために命と才能を恵まれて来たのです。

聖書 』は、

恐れずに思うとおりに自分の道を歩みなさい

と言っています。

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