人は好きなように生きられるんです

僕は生まれてすぐに

カトリックの洗礼を受けたクリスチャンです。

小さな頃から日曜日のミサに行き、

教会学校に通っていました。

目には見えない世界のことも、

ごく自然に信じる環境に育ったんです。

聖書』も身近な書物として何度も読んでいるので、

スピリチュアルな話も抵抗なく入ってくるんです。

運命とは、命を運ぶと書きます。運ぶ主体は人間です。

人間は神様の似姿に造られた、神様の最高傑作なんです。

人間は神様から自由意思で決めることを許されてます。

人間は完全ではないから間違いも犯すけど(完全なのは神様だけです)、

そのことで学びが得られるし、人間の選択は結局全てOKでパワフルなんです。

人間が生き方を選択することは当然自由です。

だから、会社を辞めたら生きる道がなくなるとか、

独立して失敗でもしようものならもうおしまいとか、

生存を脅かすようなことは、宇宙の摂理にはないんです。

極論言うと、

心配しなくてもちゃんと生きて行けるということ。

でも、人間は見えない未来に対して不安や恐れを抱きます。

不安や恐れは生命を維持するために備わった感情で、別に悪い訳じゃないんだけど、

強力なエネルギーを宿しているので、
その思いを持ち続けていると、
不安や恐れているとおりの現実を
引き寄せて、
実現させてしまうんです。

教育や常識は、この恐れを利用して、

はみ出した言動を取るとヤバイぞ!!って脅かす材料に使います。

人間の性質は今も昔も変わりません。

聖書』の出エジプト記に、エジプトで奴隷として暮らしていたユダヤ人を、

モーセがエジプトから出国させるという話が有ります。

その際、神様はモーセを通してあらゆる奇跡を行い、

ユダヤの民は、これらの奇跡を見て神様を信じるんです。

ユダヤ人は、始めは奴隷からの解放を喜ぶんだけど、

荒れ野で困難に遭遇して、不安や恐れが増大してくると、

神の愛を疑うようになります。

食べ物を与えず殺す気か。のどの渇きで死にそうだ。肉が食べたい。

不安や恐れに耐えかねて、モーセに迫ります。

神様は”マナ“というそれまで存在したことのないパンを天から降らし、

岩から水をだし、ウズラを風で運び、

民衆の欲求を満たしてあげるんです。

繰り返すけど、

人は自分で生きていく道を選べます。

現代人も、エジプトから導き出されたユダヤ人たちと同様、

大きな愛を信頼しきれずに、不安や恐れに支配されてしまいます。

神は愛です。愛は自由を許容します。

宇宙はその自由をすべて受け入れるようになっています。

宇宙は決して人の生き方を限定しません。
生き方を変えたことによって、
生存を脅かすなどということは絶対にありません。

人が勝手に自分の道を狭めているだけなんです。

心に抱く不安や恐怖によって、

自らその思いを現実に引き寄せているだけです。

自由に生き方を変えられるし、ゆったりした気持ちで

生きようと決めればそのように生きられます。

もっと信頼感を抱きながらゆったり生きたいと思いませんか。

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